ソーシャルダンスパーティーの開催

家族会の活動の一つとして、「ソーシャルダンスパーティー」を平成10年頃から開催していました。

これは、小規模作業所の運営資金作りのため、家族の方が趣味でダンスをされていたこともきっかけで、毎年開かれていました。

つまり、家族会主催でダンスパーティーを開いて、ダンス愛好家や企業の方々にチケットを買っていただき、当日は皆さんで楽しくダンスをしていただくという趣旨です。ちなみにダンスは、社交ダンスです!

当時は徳山社会福祉センターの大会議室をお借りして、当日は家族やメンバー、作業所職員が総出で、会場づくりから、チケットもぎり、ダンスの休憩中につまめるお菓子や甘酒を用意したりなど、皆なで忙しく働きました。

一番盛り上がるのは、プロの方をお呼びしてのデモンストレーションの時間です。

社交ダンスを知らない方でも、プロのダンスにうっとりでした。

家族会は、色々な方法で何とか作業所の運営資金を得ようと必死でした。

 大変ではありましたが、皆なで一つのことをすることで結束感は高まっていったと思います。

懐かしい思い出の一コマです。

家族会だより発行

平成11年頃、家族会事務局は保健所(現 周南健康福祉センター)にありました。その頃から、「家族会だより」を発行し、会員や関係機関などに配布していました。

 

内容を見ると、「バザー用品を寄付してください」「コスモス工房が補助金をいただけるようになった」「全家連(全国精神障害者家族会連合会)の中国ブロック大会に行く方募集」などなど、活発に動きがあったことが伺われます。

 

当初は、保健所の保健師さんと家族会の方が作成していましたが、その後作業所の指導員が作成するようになり、平成14年に家族会事務局が保健所からコスモス工房になっても続いていきました。

 

家族会だより」は、平成18年5月まで発行され、家族会活動や作業所の様子、精神保健福祉の動向などを伝える大事なツールとして存在しました。

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小規模作業所認定書

IMG_0339 (638x479)徳山地区精神保健家族会は、昭和60年から「徳山地区精神保健家族会共同作業所」、平成10年から「徳山地区精神保健家族会共同作業所分室コスモス工房」を運営してきましたが、実は、県に正式に認められたのは、平成10年6月29日のことでした。

 

当初、運営は家族の手弁当(家族がバザーや寄付などで運営費を調達する)で始まり、そのうちに市町から補助金が出るようになり、次に国から補助金が出るようになり、最後に県から補助金が出るようになったという順番だったからです。

 

このことから、金銭面ではさまざまな苦労があったことが理解できます。

これまで、家族がボランティアや指導員になって人件費を抑えるなどしてきました。

しかしながら、家族だけで作業所運営を継続していくことにも限界を感じていたのも事実だったと思います。

 

平成11年、作業所はこれまでボランティアとして第三者を受け入れ来ましたが、家族以外の方を初めて雇用することになりました。

それはつまり、精神保健を学び、理解して支えようとする第三者が出てきたという事でした。

ここから、次の展開が始まっていきました。

 

コスモス工房の誕生

利用する人が多くなったこともあり、平成10年3月2日、下松市潮音町に徳山地区精神保健家族会分室「コスモス工房」が誕生しました。

 

分室を設置するに当たり、家族会や保健所、ボランティアの方々が、各方面に働きかけを行い、活動に賛同してくださる大家さんとの出会いがあったことで、実現することが出来ました。

 

開設当時は、10人未満の利用でした。

 

平屋の民家でしたので、作業を行うだけでなく、皆で料理を作って食べたり、下松市在住の家族の方が編み物をする場になったりしました。

 

精神疾患のある方や家族にとっても、もうひとつ、自宅以外の場所ができ、下松市だけでなく光市の方が通いやすくなったこともあり、少しずつ人数が増えていきました。

さわやか工房 はじめの一歩

徳山地区精神保健家族会小規模作業所、今のさわやか工房は、周南市平野にある曹洞宗瑞龍山「祥雲寺」から始まりました。

 

昭和59年、家族会の方々や保健所の方が、和尚様や門徒の方々にお許しを頂き、場所を借りて作業が始まりました。当時は、お菓子の箱組み立てや手芸小物等を作成していたようです。

 

その後、当時の保健所長さんのご尽力もあり、昭和60年に周南市岐山の図書館の横にある「勤労福祉センター」を借りることができました。

場所を固定することが出来たため、お菓子の袋詰め、メンバー(利用者のことをこう呼びます)の山を借りて畑を作り、赤い羽根共同募金でミシンを頂くなど、作業内容を少しずつ増やしていきました。

 

当初、作業所の運営は手弁当、つまり家族会の方々の寄付やバザーの収入などを運営費に充てていました。年に4,5回バザーをして、家族が指導員をするなどしてやりくりをしていました。

昭和61年に山口県や市(徳山市、下松市、光市、新南陽市、鹿野町、のちに熊毛町)から助成金を頂くようになり、運営が少しずつ安定しはじめました。

 

メンバーは少しずつ増え、平成7年には31人となり、勤労福祉センターの部屋が人であふれるような状態になっていました。